お知らせ

「大田切橋梁」が、2021年2月4日正式に国の登録有形文化財になりました。

お知らせ 2021-02-16
(内 容)
大田切橋梁について
明治の信越本線の山岳工事の中でも最大の難所の一つとされた、太田切川への線路の敷設は、当初鋼材による架設が検討されましたが、当時鋼材は高額な輸入品だったことで、渓谷を埋め立てる大規模な築堤工事で行われました。

深い谷に堤防と水路トンネルを設けて線路を敷設したもので、水路トンネル(拱渠)は、延長約94メートル 断面幅7,6メートル 高さ7,8メートル。通常の単線鉄道トンネルの1,6倍の大きさです。当時の古老の進言に従い、通常の予定を拡大したことで、数々の水害や土砂災害などを乗り越え、現在に至っています。

この上の盛り土は約36メートルで、施工にあたった鹿島組(現鹿島建設)が一日当たり1000人を動員して、約600日に延べ30万人を動員しました。建設事故で16人、コレラで63人の犠牲者を出しながら、明治20年11月に完成しました、

水路トンネルは、アーチを煉瓦積、坑口・側壁・底部アーチ(インバート)を整層切石積(石材役1万8千個と試算)とし、上流と下流に石積みの翼壁がついています。




弊社石黒 孝良常務取締役経営企画部長のコメント
「大田切橋梁」を「新潟県及び上越地方の宝」として、「日本の鉄道遺産」として後世に伝えていくことと致します。
また、地域発展のため、新潟県及び上越地方の観光にも役立てられればと考えております。
先人の拱渠建設技術水準の高さに敬意を表したい。