市振駅駅舎と市振駅ランプ小屋、親不知駅駅舎が国登録有形文化財に!
イベント
2024-08-02
日本海ひすいライン(旧北陸本線)は、明治40年代に起工し、大正2年にかけて全線が開通しており、沿線駅も当時からの面影を残す、貴重な建物が数多く残っています。
うち 明治41年に建設された木造平屋建ての「市振駅駅舎」と、市振駅構内にある照明用燃料油保管庫「ランプ小屋」そして「親不知駅駅舎」、が令和5年2月に、国登録有形文化財となりました。
登録を示すプレートが文化庁から届いたことから、7月29日市振駅でプレートの贈呈式が行われました。

弊社からは、平井隆志代表取締役社長と石坂 強糸魚川駅長が出席しました。

はじめに糸魚川市の井川賢一副市長が主催者で挨拶に立ち、「文化財を将来にわたって残すことで、利用促進や地域の振興に寄与することを願います」とあいさつ。

来賓の糸魚川地域振興局の木村浩樹局長は祝辞の中で「これまではねうまライン沿線は上越市にも妙高市にも鉄道関係の文化財があったが、ひすいラインでは初めての登録となり、沿線3市すべてに文化財が登録された。青海地域の宝物が登録され、非常に嬉しい、糸魚川の西の玄関口の発展を願います。」と祝辞を述べました。

弊社の平井社長も「沿線3市すべてで有形文化財が登録されたことは、非常に嬉しい。100年以上にわたり、この地域の風雪 荒波に耐えてきた建物であり、厳しい自然環境から乗客を守り続けてきたこの建物を、これを契機にしっかりと守っていきたい」と語り、プレートを受け取りました。

石坂強駅長には、親不知駅駅舎のプレートが手渡されました。

駅舎前で記念撮影に臨みました。市振駅駅舎は 明治41年に建設された木造一部鉄骨平屋建ての建物で、親不知トンネル建設の拠点としても活用されました。

その後、ランプ小屋を見学しました。ランプ小屋は、明治41年に煉瓦造り(イギリス積)で建設された照明燃料用保管庫で、軒下の「雁木積み」など意匠的特徴も見られます。

その後列席者は親不知駅に移動し、再び記念撮影に臨みました。
親不知駅駅舎は、明治末期の北陸本線の駅舎の様相を伝える木造一部2階建てで、屋根の上には雪降ろし用の命綱を結ぶ金具が残っているほか、五平柱にスリットが入った特徴的なデザインとなっています。

駅舎には近々、プレートが設置される予定です。
うち 明治41年に建設された木造平屋建ての「市振駅駅舎」と、市振駅構内にある照明用燃料油保管庫「ランプ小屋」そして「親不知駅駅舎」、が令和5年2月に、国登録有形文化財となりました。
登録を示すプレートが文化庁から届いたことから、7月29日市振駅でプレートの贈呈式が行われました。

弊社からは、平井隆志代表取締役社長と石坂 強糸魚川駅長が出席しました。

はじめに糸魚川市の井川賢一副市長が主催者で挨拶に立ち、「文化財を将来にわたって残すことで、利用促進や地域の振興に寄与することを願います」とあいさつ。

来賓の糸魚川地域振興局の木村浩樹局長は祝辞の中で「これまではねうまライン沿線は上越市にも妙高市にも鉄道関係の文化財があったが、ひすいラインでは初めての登録となり、沿線3市すべてに文化財が登録された。青海地域の宝物が登録され、非常に嬉しい、糸魚川の西の玄関口の発展を願います。」と祝辞を述べました。

弊社の平井社長も「沿線3市すべてで有形文化財が登録されたことは、非常に嬉しい。100年以上にわたり、この地域の風雪 荒波に耐えてきた建物であり、厳しい自然環境から乗客を守り続けてきたこの建物を、これを契機にしっかりと守っていきたい」と語り、プレートを受け取りました。

石坂強駅長には、親不知駅駅舎のプレートが手渡されました。

駅舎前で記念撮影に臨みました。市振駅駅舎は 明治41年に建設された木造一部鉄骨平屋建ての建物で、親不知トンネル建設の拠点としても活用されました。

その後、ランプ小屋を見学しました。ランプ小屋は、明治41年に煉瓦造り(イギリス積)で建設された照明燃料用保管庫で、軒下の「雁木積み」など意匠的特徴も見られます。

その後列席者は親不知駅に移動し、再び記念撮影に臨みました。
親不知駅駅舎は、明治末期の北陸本線の駅舎の様相を伝える木造一部2階建てで、屋根の上には雪降ろし用の命綱を結ぶ金具が残っているほか、五平柱にスリットが入った特徴的なデザインとなっています。

駅舎には近々、プレートが設置される予定です。